2/9

5:00〜7:50アラームとの戦い
9:30〜17:00就業

小学生の頃
「特別学級」っていうのがあって、"特別学級だからなんでも許される"的な、だからこそ"彼らはちゃんと『普通』を教えてすらもらえない"みたいなのが嫌いだった。
できるかできないかはともかくルールや規則くらいははじめは平等に教えてやれよみたいな気持ちがあった。
(うちの小学校、1クラス21人とかしかいなかったし、特別学級は特別学級で先生2人いたはず)

なんとかしようとする意思があるならそのうちなんとかなるし。
諦めるのは勿体無い。

ただ、たぶんなんらかの障害を持っていて悩んでるけど、なんだかんだで最終的に他責を選んで思考を終わらせて激しくキレるタイプの場合は相手を諦めたい。
汲んであげる余裕がもう私にはない。

親がどちらもキレやすかったから察しだけは良くなって「汲んであげるのが私の使命だ」と思ってた時期もあったんだけど、
そうすると次第に"自分"が失くなって基準がブレ、正解がわからなくなってオドオドして自信もなくなって良いサンドバッグが完成する。
一回「こいつは弱い」と思われた場合は相手が「ダメだダメだ」と思ってても根っこでは味を占めてて結局キレられるから、そうなった場合は離れるに限る。

心のエネルギーが枯渇してる時にキレられる事が多いから普通に毒。
限界ギリギリで回してるところなどでバイトリーダーとかしてるうちはみんな心が荒んでるから格好の的になることもある。

余裕がないというか、違うな。

心配りを課金と例えると、

今まで私の全てを須く他人のために使って頑張って課金してたけど、つけあがるタイプ(パワハラモラハラ)に課金しすぎて自己破綻したから今後は課金先は選ぶようにする…って話。

鬱とか躁鬱とかみんな元廃課金勢だと思う。
心の課金も身の丈にあったものをしよう。

苔ttish!!

Dark and Pop Illustration and Self-analysis Journal Site.

0コメント

  • 1000 / 1000