こだわりについて
診断は下りないレベルなんだけどおそらくASD傾向のある私も、やっぱり"こだわり"がある。
自分にしか課してないけど。
例えば
・生きてるものみんな限りある命なのでとりあえず基本敬う。
・人間であるならば考える力があるという事。つまり相手にも人格があるから基本的には老若男女問わず尊重する。
→脳みそがあるなら誰でも考えるものであると思っているので急に来る無茶苦茶な暴論をうまく処理できない
・弱い者いじめはよくない
・持論で決めつけて相手に強要するのはよくない
・自分が完璧ではないのにあれもこれも他人に求めるのはいかがなものか
→求めるならばまずは自分から。人の振り見て我が振り直せ。
・定期的に自分を疑う
・時間がかかってもアップデートしていく気持ち
あと無闇矢鱈に悪口言わない
相手の話も頭の片隅でもいいから考慮に入れる
自分に厳しく他人に甘く。
ありがとうを口癖にしてるのも追加で。
なお他人には強要しない。他人には、絶対に強要しない。
そもそも己が他人にもの言えるほどできた人間なのか。いやない。
....なんか瞬間湯沸かし器みたいにすぐ怒る人お話にならないから苦手。
ポリコレとかフェミとかいろんな問題もただ単に怒りを他人にぶちまけたい人の温床になっちゃってる気がしてなんだかなあ。
「嫌な思いをしている人もいるから気を付けてもらえると助かる。」程度のものだったと思うんだけど、沸点低すぎてマイナスというかもはや窒素レベルの狂犬が場を荒らしているように思える。
謝り癖がついてた時にパワハラモラハラ気質の人に謝った瞬間関係ないもの含めて必要以上にボッコボコにされたから、立場が上の人に謝るのは慎重になってるけど後輩とかには気がついた時はちゃんと謝るようにしてる。
てゆーかまず基本的には自分自身を責めてるから相手が理不尽でない限り失礼な対応にはならない。
etc
なんか生き方の指針的な
これがあるから基本的には人と仲良くなれるんだけど、逆に一部沸点窒素のパワハラモラハラ気質の人と相性最悪な気がする
だいたい気に入られてゴリゴリ搾取されるか嫌われてボッコボコに叩かれるかする。
んでぶっ壊れて立ち直り過程の今。
パワハラモラハラ気質、今度こそ絶対にスルーするマン。
私が5歳くらいの頃からおおよそ10年間の父親の言動
「言わないなら何もわからない。言いなさい。話せばわかる。」
私 たどたどしくも喋った→父親 ブチギレ
私が議論できるようになった頃の父親の言動
「お前の事をわかるつもりなんかない」
私 ....は?(絶望)
弁護士目指してマーチ法学部出てても5歳の子供を部下を叱るのと同じ言葉遣いかつそれよりたぶん強めに怒ってる内弁慶もいる。まずあれは私のためだったか....?
私はやられて嫌だった事は人にしたくない。
人が嫌がることも人にしたくない。
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